中国経済ホーム

第2章 開発経済学のアプローチ

第1節 工業化政策

1. 輸入代替工業化政策

 開発経済学の工業化政策には、輸入代替工業化政策輸出志向工業化政策がある。これらは多くの発展途上国で採用され、中国もこれらを採用した。

 輸入代替工業化政策は1950年代から60年代に多くの発展途上国で採用された保護主義的な政策である。この政策が多くの途上国で採用されたのにはいくつかの理由がある。

 最も大きな理由は多くの国がかつて植民地であったためである。政治的な要素も含む民族資本の概念があり、自立的な国家建設のための自立的な経済の建設が目指された。毛沢東指導下の中国が自力更生をスローガンとし、保護主義というよりは鎖国的であったのは特殊な事実であったとしても民族資本の概念を用いることによって一般化することができる。

 経済学的な理由としては、それらの国々の産業構造をあげることができる。多くの国々がモノカルチュア的経済構造であった。モノカルチュア的経済は特定の財の価格変化によってその国の経済が大きな影響を受けてしまう。また多くの国が1次産品に特化していた。1次産品の多くは弾力的な需要を持つ財であるために価格変化が大きく一国経済がそれに依存するとその経済は不安定であることから逃れることができない。

 これらの問題を解決するために採用された輸入代替工業化政策は、具体的には高関税障壁数量統制で輸入を制限し、創出された国内市場に自国の産業を開発して、輸入を国内生産に切り替える。

 例えば、自動車のような最終財を輸入代替する。まず外車に対して高関税や数量規制をし、国内市場に国産車を供給する。当初は国産車のすべての部品を国産することはできないのでエンジン等のキーパーツや資本財は輸入しなければならないが、A.O.ハーシュマンの後方連鎖効果をつうじてやがて国産されるようになる。こういった過程を自動車だけでなく他の工業製品においても実施することによって経済成長をしようというものである。しかし輸入代替による工業化はやがていくつかの問題を伴うようになった。

 1つは多くの国ですぐに国内市場が飽和状態になってしまったことである。そのため輸入代替の過程が終了すると各企業は国内の低成長率に合わせてしか成長できなくなった。各企業は保護主義的輸入代替工業化政策で成長してきたため国際競争力がなく、国外に市場を求めることができなかった。

 この点を中国に当てはめてみるとどうなるのであろうか? そのまま当てはめることはできないが保護主義的な政策で国際競争力を失うという点は今日の国有企業の現状をいくらか説明できる

 もう1つはA.O.ハーシュマンの後方連鎖効果がスムーズに起こらない場合には、資本財の輸入が増大し、貿易収支の赤字が増大するという問題である。この問題は工業化を成功させたアジアNIEsにおいても観察することができる。ここでは貿易収支の赤字が増大し、更に外貨危機で経済の停滞を引き起こすこととする。

 中国は1970年代前半まで自力更生経済であったために国際収支の問題を引き起こすことはなかった


2. 輸出志向工業化政策

 輸出志向工業化政策は1960年代後半から1970年代にかけて多くの発展途上国において採用された。輸入代替工業化政策保護主義的であったのに対して輸出志向工業化政策自由主義的であった。輸出志向工業化政策は概ね成功した。この政策によってアジアNIEsASEANはほぼ工業化を達成している。中国は特殊で工業化という点では保護主義的な自力更生期に高い工業化率を達成していた。一方、経済成長という点においては自由主義的な開放政策が今日の経済成長を支える大きな柱となっている。

 輸出志向工業化政策の成功にはいくつかの背景がある。まず、輸出国があれば、輸入国がなければならない。これは当たり前のことかもしれない。国際市場に需要があるから供給するのである。輸出志向工業化政策が成功するためには国際市場が安定的で成長していなければならない。安定的な市場については2度の石油危機があり、国際経済の不安定化があったので必ずしも当てはまらないかもしれない。しかし石油危機モノカルチュア的経済構造にあった国に深刻な影響を与えた。そのため途上国の工業化への気運を高めた。

 次に輸入代替工業化政策の成長メカニズムを修正する面がある。輸入代替工業化政策は先進国の技術的影響を強く受けて輸入代替財の生産を資本集約度の高いものにする傾向があった。これは国内の産業の担い手が財閥や一部の特権的な資本家であった場合には経営的に有利であるためにますますそういった傾向をもった。多くの途上国は労働過剰国であった。資本集約的産業は雇用創出能力が弱いために過剰な労働力を吸収することができず、国民経済の成長も頭打ちとなり、経済の成長局面に移ることができなかった。

 一方、輸出志向工業化政策はそういった途上国の労働過剰のマイナスをプラスにすることができる。労働過剰であるならば、労働市場の価格メカニズムに導かれて労働力は安価になる。また途上国は、先進国の高価な労働力に比べ、相対的に安価である。その安価な労働力を武器にして労働集約型産業に力を入れた。輸出志向工業化政策の発展メカニズムは労働集約的な産業の製品を大規模に輸出して先進国の同一産業を急テンポで追い上げ、それを牽引力として他の国内産業を近代化するというものである。

 開放政策は労働過剰で安価な労働力が多い中国において非常に適切な政策であると言える。

 しかし、輸出志向工業化政策にもマイナスがある。それは貿易依存度が高くなることである。貿易依存度が高いと国内経済が世界経済から多大な影響を受けてしまうし、企業は常に国際競争力を保たなければならない。現在、中国は貿易依存度が高い。更に主な貿易相手国は米国と日本である。これは中国の不安定要因になる。

 また、中国における輸出志向工業化政策は局地的な経済特区経済技術開発区で積極的に推進された。そのために地域間格差を拡大する一因ともなった。


はじめに
第1章 中国経済の特徴
 第1節 比較体制論と経済開発論
 第2節 中国の経済史概略
 第3節 巨大な国土と人口
第2章 開発経済学のアプローチ
 第1節 工業化政策
 第2節 W.W.ロストウの離陸
 第3節 二重経済発展モデル
第3章 農村における近代的工業部門
 第1節 郷鎮企業の発展過程
 第2節 郷鎮企業の統計分析
おわりに
参考文献

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