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一日本語学校の視点から見る中国北京の日本語教育

日系企業

 日系企業に対する日本語教育は2002年の年末から計画し、2003年から始まった。

 本校にとって大きな転機になったのは2003年4月に北京市でも流行したSARS であった。この影響は非常に大きく、日本の大学の2003年9月入試はすべて中止になり、2004年4月入試もその大半が中止になった。このため本校は日本留学に依存する経営モデルの変更を迫られたのである。

 日系企業I社に対する日本語教育は2003年9月に始まった。2002年末から準備し、SARS沈静後にすぐに営業をした結果であった。2004年には日系J社、日系K社の日本語教育を請負、2005年には日系L社、日系M社、日系N社、武漢分校では日系企業提携の中国系O社とも契約した。

 日系企業に営業をする中でわかったことだが、従来は中国の有名大学の中国人教授、フリーの日本人教師及び日本人駐在員の知り合いの日本人といった個人が北京の日系企業に対して教育サービスを提供しているようであった。これに対して本校は、組織的な日本語教育、在籍管理及び日中両国語による報告書というサービスを提供し、好評を得た。

 組織的な日本語教育とは、例えばIT企業の社員に対する実用日本語教育等でベテランの女性日本語教師が日本語の基礎を担当し、IT関連の知識はITに詳しい男性日本語教師が担当するといった具合である。日系企業に対する日本語教育は多様で、もはや個人ではその需要に供給できなくなっている。

 日系企業に対する日本語教育は、通常幹部社員に対するものであるが、ある企業は試験的に工場ラインの勤務態度が良いものにも学習機会を与えた。これは先に幹部に対する日本語教育を行った後に社内で日本語学習熱が高まり、それを受けて開設されたものであった。クラスサイズが50名、会議室に座れないために移動式黒板を食堂に持ち込んで行ったものであったが、学習者は非常に熱心に勉強し、無事にコースを修了することができた。人事課の日本語教育担当からは、非常に好評で社内の雰囲気までよくなったと言ってもらうことができた。

 このケースは、日本語教育の新たな可能性を示唆しており、日本語教育は、日本語能力を身につけさせるだけでなく、社員に目標を与え、社内コミュニケーションを活性化させることも可能なのである。


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中国 北京平成日本語学校
2006年1月 内田真人